ある朝目が覚めて、ふと耳を澄ませると、何処か遠くから太鼓の音が聞こえてきたのだ。ずっと遠くの場所から、ずっと遠くの時間から、その太鼓の音は響いてきた。―その音にさそわれて僕はギリシャ・イタリアへ長い旅に出る。1986年秋から1989年秋まで3年間をつづる新しいかたちの旅行記。
出版社:講談社(講談社文庫)
村上春樹の本領が発揮されるのはまちがいなく長編小説なのだけど、こういうエッセイの中にもおもしろいものは多い。
本作『遠い太鼓』などはいい例だ、と思う。
本書は著者がギリシアとイタリアに滞在していたときの旅行記である。
しかし「はじめに」を読む限り、これらのスケッチ的な文章は、著者の個人的な理由で書かれたという色合いが濃いようだ。
そしてそれゆえ、文章は肩の力が抜けていて、気軽に楽しく読めるものとなっている。
村上春樹にはアンチが多いのだけど(そしてそういう人たちの意見は結構納得できるものが多いのだけど)、そんなアンチでも本書は楽しめるのではないかと思う。
この本でおもしろい点はいくつもあるのだけど、特にすばらしいのは、ユーモアに富んだ文章が多いところだ。実際、読んでいて笑ってしまったポイントはいくつもある。
スペッツェス島を紹介するヴァレンティナの会話や、スペツェス島での客引きたちとのやりとり、奥さんとの夫婦ゲンカ、ギリシャ人のあいさつの話、メータ村までの道中の会話などなど、おもしろい部分を上げるとキリがない。
そんな中で、個人的に、もっともうけたのは、クローゼットの虐殺である。
多くを語らないけれど、ここに出てくるおばちゃんはすごすぎる。つうかあまりにむちゃくちゃすぎて、笑うしかなかった。本当にいいキャラだ。
この話に、脚色がどの程度入っているのかわからないけれど、そのシュールさには大いに笑わせてもらった。
また文章だけでなく、紀行としても、充分におもしろいものとなっている。
土地の風物に関する著者の観察は優れていて、魅力的だ。
著者の主観がだいぶ入っているし、偏見かもしれないなと思う部分もあるのだけど、どれも実際にその土地に行かなければ味わえない情景ばかりだ。
書き手の生の体験を通してつづられているだけあり、確かな説得力がある。
特に、著者が、その土地に行って体験した、うんざりした思いなどは、読み手にもはっきり伝わってきて、非常に楽しい。
シシリー島での不穏な空気や、ローマで生活することの不便さに関する部分が個人的には印象的だ。
基本的に、著者はイタリアで、相当痛い目にあったらしいことが、そこからわかる。
確かにイタリアはむちゃくちゃで適当であるようだ。
だが春樹は、そのむちゃくちゃさにうんざりしながらも、同時にそれを個性的と思い、おもしろい、と感じていることも伝わってくる。
その思いは強いだけに、イタリアに行ったことはない僕でさえ、そんな著者の思いに共感できるのだ。
こんな風に読み手に思わせる点でも、紀行としては良質と言えるかもしれない。
いろいろ書いたが、本書は普通におもしろい作品だ。
村上春樹のファン以外の人は、単純に楽しい紀行文として読めると思うし、村上春樹のファンとしては、『ノルウェイの森』と『ダンス・ダンス・ダンス』のころの彼がどのような生活をしていたかも知ることができ、何かと興味深い。
村上春樹という作家のエンタテイメント性の高さを知らしめる一品である。
評価:★★★★★(満点は★★★★★)
そのほかの村上春樹作品感想
『アフターダーク』
『1Q84』
『海辺のカフカ』
『東京奇譚集』
『ねじまき鳥クロニクル』
『走ることについて語るときに僕の語ること』
『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』
『若い読者のための短編小説案内』
『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』 (河合隼雄との共著)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます